A heady tale

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

7/25~7/31

・ひたすらバイト。バイト先で恋が成就したやつにウナギをおごらすなど。

・こんなスピードで1日が過ぎていったらたぶん加速しすぎて、9月8日なんていう
世間一般的にどうでもいい日はスルーされると思う。

【ノンフィクション】
・「なぜ君は絶望と闘えたのか」門田隆将
・「なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか」今枝仁
・「死刑」森達也
図書館で借りてきた3冊。光市母子殺害事件を通して死刑制度についてちょっと考えよう
という試み。
死刑については、今までは、なんとなく死刑存続派だった。「なんとなく~派」でいること
は原発のことがあって、とても良くないなあと思っていたので、死刑についても意見を
できるだけ固めることにした。

3冊読んで分かったのは、死刑制度の是非というのはロジックではなく、
どちらが嫌か、ということでしか決せられない、ということだ。
多くの人が是非を論証しようとするから、論証できるのかと勘違いしていた。
実際は、全然むりだ。

そうだとすると、これは自分のこととして考えなければならない。
実際はなんの罪も犯していないのに、自分が、あるいは自分の大切な人が死刑になる
ことと、自分の大切な人が直視できないような態様で殺されたときに、
その犯人がのうのうと生きながらえることの、どっちが嫌か、ということを、想像するしかない。
この選択肢の絞り方自体に異論があるかもしれないが、僕にとっては、
この選択肢の絞り方しかあり得ない。

僕は、これまで、傲慢にも、被害者の遺族の気持ちを想像して、死刑制度に賛成していた。
本を読み、被害者やその遺族が、どれだけ苦しんだかということを想像しては、
被害者やその遺族にこれだけの苦しみを与えうるのだから、その責任をとって死ぬという
刑罰があってもやむをえないだろうと思っていた。

しかし、実際に焼かれることと焼かれるように思うことには永遠の隔たりがある。
被害者の遺族の気持ちなど、わからない。
まして、被害者の遺族が「他人」ならなおさらだ。

そこで、自分自身のこととして考えてみる。それでも、実際に焼かれていない自分には
分からない。分からないが、想像する。
想像してみると、冤罪で殺されてしまうことの方が、救いがないと思った。
救われようがない、というか。
犯人が生きていることもまた、許容しがたいことだと思うが、どのような場合でも、
犯人に対して死ね、と思えるかというと、そうとも言い切れない自分がいる。

結局、冤罪によって殺されてしまう方が、「嫌だなあ」と思う。
なので、このたび、死刑廃止派に転向した。
「なんで廃止なの?」と言われたら、堂々と、「冤罪で殺されたら嫌だからだ」と答えたいと思う。

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

俺も何かごちそうしてもらわんと・・・

wb | URL | 2011年08月01日(Mon)10:24 [EDIT]


なお興味があるならば、団藤・死刑廃止論も読むことを勧める。

かんなつ | URL | 2011年08月03日(Wed)19:36 [EDIT]


>wb
「おにぎりくらいおごるか・・・」って言ってたよww

>かんなつ
また死刑ブームが来たら読んでみるわ。さんくす。

hacoma | URL | 2011年08月06日(Sat)11:39 [EDIT]


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。