A heady tale

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6/18~6/19

・民法まとめをすこーし進めた。佐久間民法は、やはりよい本だな、と思う。
総則と物権は、最後まで佐久間民法に乗っかって、なんの問題もない。

・学部時代の母校のバスケ練習に参加させてもらう。予備校バイトのつて。
非常に楽しかった。

・【小説】 村上龍「歌うクジラ」
生き方の重要な部分のうちの一部は、はっきりと村上龍の小説の影響があると
いえるくらい、村上龍好きである。
しかし。この「歌うクジラ」を読んで、小説家としての村上龍は、衰退期に入ったと
確信した。役目を終えた、というほうが正確かもしれない。
最終ページで明らかになるテーマはとても重要なものであるのに、物語として
言い尽くせてない。言い尽くせてないどころかむしろ、全然足りない。
冗長で、しかもその冗長さの大部分は「小説技術」の披露であって、物語の一部と
なっていない。
暴力や性的な描写も、「コインロッカーベイビーズ」や、「五分後の世界」で表現したような
必然性がない。
惰性、である。少なくとも僕は、惰性だと感じた。惰性だと感じさせる小説は、完全に、
終わっている。
今後出る村上龍の新作が上下巻だったら、たぶん読まないと思う。そう決意させる
小説だった。残念ながら。

・【漫画】 安田弘之「ちひろ」
一方、「ショムニ」の作者が画いたこの漫画は、いまのところ今年読んだベスト漫画である。
この物語を、単なる風俗嬢の裏話だと読むなら、全く読む意味はない。

風俗嬢のちひろは、あらゆるものを捨てる。迷いなく。
死んだ熱帯魚も、枯れた観葉植物も、生きたカタツムリも、手編みのマフラーも、
仕事も、男も、名前も。ゴミ箱に。ぽいっと。
ちひろは、何も持たない。

ところで、「人生は悲惨かみじめかのどちらかだ」とするなら、なぜ、僕らは、生きるのだろう。
「持つ」ためなのか。でも、どんなに「持った」としても、あなたが死んでしまったら、あなたに
とって、全ては失われてしまいますよ?
やはり、悲惨かみじめかのままなのだ。

そこに、一矢報いるならどうするか。

ちひろは、「持たない」という選択をした。ここでは、「持たない」こと自体より、「持たないという
選択をすること」がまさに重要なのだ。

「持たないという選択をすること」で、何も持たない、ということが、その実、全てを持っている、
ということになる。

桜舞う公園で、粉雪舞う歓楽街で、空を見上げるちひろは、何もなく、一方で全てであるのだ。
そう、この物語は、風俗嬢の物語ではなく、まさに、僕たちの物語だったのである。

・酔っ払って書きすぎました。すみません。

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コメント


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僕は、小説やマンガの批評が大好物です。

よんとお | URL | 2011年06月21日(Tue)00:08 [EDIT]


書ける間は積極的に書いていきます。

ちなみにアジテーションを含んでます。よろしく。

hacoma | URL | 2011年06月25日(Sat)02:36 [EDIT]


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