A heady tale

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原丈人という人と、法律家。そして自分。

ほぼ日の過去の記事を掘り返して読んでいるのだが、すごい人を知ってしまった
(ほぼ日では「とんでもない」と書かれていた)。
原丈人という人である。肩書きが「寿限無」くらいあるのだが、それも全て、
「日本を世界に誇れる国にしたい」という情熱を達成するための手段だという。
そして実際に、実績も寿限無くらいある。
スーパー実業家なのに、ニコニコしながら穏やかに話す。ただ、自分の情熱に
触れる部分の話をする時は、確固たる意思を感じさせる顔になる。
他のスーパー実業家と同じく、肌つやつやである。いろんな失敗も含めてなにもかも楽しい
からだろう。

こういうタイプの人は、法律家には少ない。というか寡聞にして知らない。
W大にはスーパー法律家な実務教員がたくさんいる(いた)が、こういうタイプではない。

その理由はよくわからないが、法律家の世界というのは、とても閉鎖された、
そして残念ながらエリート意識にまみれた世界であることと無関係ではない気がする。

ローに入って2年半が経った。
ふと気付くと、極めてパーソナルな悩みばかりが足元に溜まり、
それに足をとられてずぶずぶと閉鎖された世界に引きずり込まれ行って
いるのではないか。
今、立てるべきなのはきっと、夏休みの計画「だけ」ではないのだ。

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く た ば れ 税 務 署 (長文注意)

・前提となる知識
あるライターが文章を書き、原稿料をもらう際には、10%源泉徴収されて支払われる。
例えば、支払額が10万円なら、1万円源泉徴収されて、手取りは9万円となる。
原稿料を支払った者は、源泉徴収した税金を(本来の納税者に代わって)納め、
その支払額と源泉徴収額について「支払調書」という書面にして、税務署に提出しなくては
ならない(所得税法第225条第1項第3号)。
原稿料を支払った者は、支払を受けた者の便宜上、その支払を受けた者に対しても
支払調書を提出することが多い。しかし義務ではない。なぜなら、確定申告書に
支払調書を添付する義務がないからである。単に、親切で渡しているに過ぎない。

「法定されてない資料は一切つけない」というポリシーがあるので、この支払調書を
つけずに申告をした(ただし、所得税の申告書第2表には、どこから支払を受けたかを
記載する欄がある)。
通常、それほど収入が多くない者が10%源泉徴収されると、「税金の納め過ぎ」となり、
確定申告すると納め過ぎた分が還付される。今回も還付申告である。

・3月12日
提出するも、収受できないという。その理由は、
支払調書をつけないのはかまわないが、第2表の記載欄に、
「甲社及び乙社から合計~万円の支払があり、そのうち源泉徴収額は~万円だった」
と記載しているからだという。
これでは、どちらの会社からいくらもらってるか、わからず、しかも甲社は有名だが、
乙社は知らない会社であり、これでは調べようがない。
ということだった。
第2表には、「支払者の氏名・名称」又は「所得の生ずる場所」を記載しろと書いてあり、
厳密には名称だけ書けばいいのだが、実際の経験からして、乙社を探すのは確かに面倒
であり、その分還付が遅れる、という職員Aの主張には一理あったので、「じゃあ、内訳
を書いてくればいいんですね?」と確認をとり、内訳を書いて提出することにした。

・3月13日(金曜日である)1回目
内訳を書いて提出したところ、
職員B「支払調書を見せて下さい」
「いや、もってきてません」
職員B「それでは収受できません」
「(゚Д゚)ハァ?添付義務がないんだから見せる必要はないでしょう」
職員B「それだと、適当な還付金額を書いて提出されても還付しないと
いけないことになってしまうので、おかしいでしょう」
「いや、それをおかしいというなら、法律で添付しろ、と定めているはずでしょう?
そもそも、払った方は支払調書を提出しているんだから、そっちで調べられるじゃない
ですか」
職員B「源泉徴収票は提出されますが、支払調書は提出されません」(※完全な誤り)
「いや、ともかくね、法律に書いてないことなんだから添付しなくていいはずですよ」
職員B「税金を納める場合には、添付しなくてもかまいませんが、還付になるばあいには、
さっき言ったように、適当な額を書かれると困るので、確認の必要があるのです。
このまま提出してもいいですが、還付されませんよ」
「いやいやいや。『添付義務がないのに、添付しないと還付されない』って、全く意味不明
じゃないですか。じゃあ添付義務がないってのはなんなんですか?」
職員B「hacomaさんの見解はわかりましたが・・・」
※この一言でぶちキレる。
「見解じゃないよ。法律に書いてないから出さなくていい、って話をしてるんだよ。公務員
ってのは法定されたことをするのが仕事だろう。こっちはなんにも解釈なんてしてないよ」
職員B「そういう運用ですんで・・・。とりあえずこのまま出されても、またこちらから連絡して、
確認できるまでは還付しませんよ」
「運用だ、というなら出しますけどね。昨日の職員Aは内訳を書けばいいって言ったんで、
それは嘘だということですね?じゃあ、それについて苦情があったと記録しておいて下さい」
※と、怒りをぶつけていったん家に戻る。完全に中学生レベルのキレかたである。

・3月13日 2回目
ぷりぷりしながら、提出。収受する人は5人いる。今度は職員C。
(申告書をぱらぱらみて、収受印をばんばん押していく)
職員C「はい、お疲れ様です。還付金は1月半くらいで振り込まれますんで」
「え・・・支払調書をみせろって言われたから、わざわざ持ってきたんですけど」
職員C「(しばし支払調書を見て)いや、支払調書は添付しなくても、見せなくても
結構ですよ」
「・・・ですよねー(苦笑)」

ということで、申告書は無事収受されたのである。

・問題点
職員Aに従ったのに、職員Bがダメだと言ったのが怒りの直接的な原因であり、
それは個人の力量に大きな差がある国税の職場においては、実は結構ありふれた
ことである。これは問題だし、もっと厳密に見解の統一を図るべきであること
は明らかだが、一番の問題点は別のところにある。
それは、国税の職員は、「法律」と「運用」を明確に区別する意識を持っていないという
ことである。法律と通達について区別してないことはわかっていたが、運用ですら
区別されてないのだ。運用というのは、税務署レベルで事務を円滑にするため
の単なる「やり方」に過ぎない。それにもかかわらず、あたかも法律に書いてあるかの
ように、堂々と納税者にその「やり方」を押しつけるのである。
実際のところ、支払調書を見せたり、添付したりすることなどどうでもいいことであり、
そうしてもいいのだが、この、運用すら法律であるかのように振る舞う、すなわち、
自らが法であるかのように振る舞うメンタリティが許せないのだ。
「辞めてよかった」と、「早く弁護士になろっと」と思った次第である。

・反省
添付しなくても違法性がないのだから、「還付されない」のなら、還付加算金がつく
ことがありえる。効果を考えたなら、「いいよ、還付されなくても。加算金
おいしいなあ」ということに思い至ってもよかった。そうすれば、職員Bに収受させて
しまうことも手だった(実際は、1か月半で還付されてしまうが)。

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公法上の当事者訴訟

A:直前なので、使い道だけいうと、
処分性のあるもの→抗告訴訟
処分性が微妙ないしないもの(公法上の法律関係だということは前提)→当事者訴訟

~できる地位の確認
~を給付せよ

といった請求で出てくる。
抗告訴訟と民訴の間を埋めるものとして存在。訴訟の入り口を広げたというだけ。
したがって、個別の法律上の権利利益がないと本案で負けるのは抗告訴訟と同じだし(しかも、紛争の成熟性も問題になる)、確認を求めるときは確認の利益が問題になることから、最終的に請求を認めさせる手段として有利というわけでは全然無い。
処分性があれば紛争の成熟性を自動的にクリアできるし、取消訴訟ならなんらかの違法を言えば取り消されるので勝ちやすいので、処分性が認められそうなら抗告訴訟に持ち込むべき。
というわけで、抗告訴訟に持ち込めないときか、持ち込めない可能性があるときのセカンドオプションとしての使用が想定されている訴訟。

というのが俺の理解。

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裁判員制度反対派

裁判員制度を批判する法律家は、人生をかけて刑事裁判に携わってから
批判して欲しい。

と、切に思う。

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